算命学とは

中国に発祥した干支暦をもとに、年と月と日の干支を出して、人の運命を占う中国占星術です。

算命学の技法は、陰陽五行による思想学と占術としての運命学の二つの理論と技術を持ち、運命学理論を占術が証明し、占術の技法を陰陽五行の思想学が支えることを土台として、膨大な理論と技術の上に成り立つものである。

その膨大な技法と思想は、十六の理論体系となり十六元法といわれ、この技法を使うと、先祖三代、子孫三代まで占うことができるとされる。算命学の占術、技法の根幹は、「人」は自然界の一部として、「人」の運勢を自然界に置き換えて運命を分析する技術、思想の体系にある。


算命学思想は「天」「地」「人」三才と陰陽の思想からなり、「人」の運命は、「役目と環境が一致するところにおいては、自然(古代においては神)がその人を必要とする存在となり、役目と環境が一致しないところにおいては、自然はその人を淘汰する」という厳格な判断をする。また、この思想によって、人の運命を予測することができるものとする。この運命を予測する肝に当たるものが、守護神法で五行守護神、調和守護神、調候守護神、方位守護神、三神斉美守護神、十干救道、格法守護神などを使い分けて、忌み神を取るのが特徴である。


【算命学の歴史】

算命学の発祥は、中国春秋戦国時代の鬼谷子に始まるとされている。それは、それまであった陰陽五行思想および、運命予測の技術をまとめた人とされるからである。


蘇秦と張儀は、戦国時代の縦横家であり、張儀は秦の宰相となり、蘇秦は六国合従の宰相となった人である。蘇秦が完成したとされる揣摩の術は、人を意のままに操る神秘的術で、この揣摩の術が算命学の別名とされていたとする説もある。


揣摩の術、算命学は、中国大陸を統一した秦の始皇帝が権力を握ると、秦王朝内部だけの秘伝とし、宮廷の外には一切出さないようになった。こうして算命学は、王朝お抱えの占い師達によってのみ命脈を保たれる一子相伝の運命学となったのである。そして、国が亡んでも次の王朝に受け継がれていく運命をたどったのである。漢代から隋唐の時代に至って、陰陽五行説は干支五行説として成熟していく中で、算命学は天文暦法を原理として発展している。 (Wikipediaより抜粋)

【私が思う算命学】


2006年頃、私に降りてきたメッセージは「自然と共に生きろ」でした。単純に解釈した私は、その後北海道へ移住し文字通り自然の中に身を置いたのです。自分のエネルギーの回復や循環にはとても良かったのと、私のパートナーにとっては居場所を見つけたようなしっくり感があり、そこに関しては満足していました。

私の中で生まれた疑問は「私のように都会との相性がいいエネルギーの本質を持っている人や、自然のある場所へ移動できない人はどうしたらいいのだろう」という事でした。

そんな中、再び降りてきたメッセージは「移動」。引越ししなくっちゃという感覚が毎日湧き上がってくるのです。迷いがある中で過ごすうちにタイミングが来まして、「今だ!」と引越しをすると間もなく「算命学」というメッセージをそこかしこから受け取ることになったのです。

私が算命学に出会ったのは15年ほど前。これまでは、その人の資質を見る為に少し使うと言う程度でしたが、復習を兼ねて再度学び直す中で「そうか!自然と共に生きる」というのは移動しなくても今すぐ始められる事なんだ!と気づきました。

算命学は、陰陽五行思想がベースとなっています。自然が先生でもあります。

その人がその人の宿命を受け入れて、カルマを解消し、資質を発揮して生きると言うのは、そのまま「自然に則って生きる」という事でもあるのです。そして、この地球の上で、宇宙のリズムと共鳴し、自然と共に生きるとも言えるのだと気づきました。私の使命は、一人でも多くの方が自分のあるべき姿を知り、そのあるべき姿から解放されていくプロセスをサポートする事です。


苦しい状況も、望まない環境も、実はギフトであることも多く、それによってあなたを助けて成長を促してくれている事もありますし、あなたを守ってくれている事もあります。


どのようなギフトを受け取り、どのように護られ、どのように自分の人生を生きてきたのか…是非答え合わせをしにきてください。納得と共に、大いなる存在への愛と感謝が生まれてくるのではないかと思います。そして、何のヒントもないままに、手探りで生きてきた自分の事も「よくやってきたね!」と誇らしくなるのではないでしょうか。